日本建築の見るべきところ
西本願寺に現存する、西本願寺飛雲閣。
聚楽第の違構説は、疑問を持たれています。
元和頃にあったごく簡単な「亭」、または「御もの見」を江戸初期に改造したとの説もあります。
また、その初層招賢殿の上段と上々段の配置は、西本願寺対面所の上段と上々段の配置と相似するという解説もあります。
西本願寺対面所は元和に建てられ、寛永に引屋の上改造された建物で、上段と上々段の配置は西本願寺の創造です。
初層と二層の絵画をはじめとする内部意匠を考慮すると、江戸初期の改造は、おそらく初層が主立ったものだったのでしょう。
「飛雲閣の壁画とその筆者」(「西本願寺」土居次義 講談社刊)には、招賢殿の筆者を狩野(渡辺)了慶とし、八景の間を狩野探幽と徳力善雪の合作としています。
長命だったとされる了慶の没年や、江戸に住んだ探幽の数々の仕事から考えて、この三人が同じ建物の壁画を手掛けることができるのは、「隔瞑記」にある寛永13年頃が妥当のように思われます。